如月

如月の二日、朝起きてリビングで目にしたのは、クリスマスに飾った生リースが壁から落下して、床一面に樅などの葉っぱやシナモンや綿などが散乱している光景。いい加減、季節感を大事にしなされ〜という神様の仕業でしょうか。


と、今日も暇ネタ一直線。


私は、昔根津、千駄木、谷中のあたりを散歩するのが好きでしたが、最近になって、かの「おばけ階段」が拡幅工事によって、まったくおばけの「お」さえ出そうにない雰囲気に変わってしまったことを知ったのであった……。あのあたりは、坂好き、階段好きな私には非常に好もしい土地だったのですが……そして、西片等のお屋敷街ね、非常に良い感じのご立派な古色蒼然たるお屋敷などがあったりして、なかなか良い風情で。


それと、たしか爬虫類研究所とかいう怪しげな看板を出した明らかに個人のお宅があったり……弥生あたりっすかね。


弥生美術館もよく行ったなぁ。高畠華宵の美少年画を鑑賞したり。中原淳一の美少女画見たり。


東大の赤煉瓦塀が長く続く裏通り。鴎外、漱石、子規、乱歩の面影。


それから、ペンキの剥がれ可具合が妙に懐かしい青い板壁が目印のこじんまりとしたプロテスタント系の教会もありましたにゃ。


丸いガラスのランプがレトロな喫茶店愛玉子の名店もありましたにゃ。戦前からやっていると聞いたけれど……よく通っていた当時、店主はすでに相当のご高齢だったが、店は続いているのだろうか。


やねせん、と呼ばれて東京下町散歩の定番化しておりますが、また久しぶりに行ってみましょうかね、いや、弥生くらいにでも。そういえば、根岸の羽二重団子ってまだ行ったことないな。食べてみたい。


上野桜木あたりから谷中墓地をゆるゆる下っていくか、バス通りを下ってゆくか……


奇妙な思い出がある。彼氏とふたりでやねせんのどこか、おそらく愛玉子の店の近くだったと思うが、夏の夕暮れ近く、ふと前から歩いてきた男の子が、非常になよやかな華宵ばりの美少年なのであった。彼が、わたしたちふたりとすれ違おうというとき、急に立ち止まって「おねえさんは、ふつうのひとですか?」と聞いてきたのだった。彼は、焦点の合っていないような、それでいて非常に真面目な目で私を見上げており、あげく切羽詰まったように今にも涙ぐみそうなのであった……私は、この問いかけが、非常に重大なものであることを実は瞬間的に察知していたのであったが、彼氏の手前「彼女っぽく」模範的に答えようとすると、冗長な、偽の可愛さや優雅さに彩色された説教臭い長話を述べてしまいそうで、口を開くのを一瞬ためらってしまった。彼の顔に失望の色が浮かびゆくのを見ながら、とっさに「みんな普通じゃないんじゃない?」と答えていた……すると、少年は小さくうなずき、そしてうつむき加減に私たちとすれ違い、歩み去って行った。彼氏に私のこたえが聞こえたか、そもそも、少年が私に何を問いかけたのか、もしかしたら、なにも聞こえていなかったのかもしれない。


あれは、どこかから遣わされてきた人外の美少年だったのだろうか。謎の邂逅は、以後、繰り返し夢や覚醒の中で、私に問い続けるのだった。ふつうのひとってなんだろう? たぶん、ふつうの人なんていない、とあのとき瞬間的に、私は確信していたのだが――ふつう、という正体不明の息苦しさに覆われる、浸食されながら生きることの恐怖を彼の目がわたしの中に目ざめさせたとしたら一瞬だとしても暗闇からの問いかけが届けられたとしたのなら、そしてその使者がわたしを選んだとしたなら、やねせんの魔に魅入られたことを感謝しつつ、わたしは今も自分があの夏の夕まぐれに答えたとおり、ふつうならず生きているか、また他者がふつうならず生きるのをそのままに受け入れているのか、問われ続けられている気がする。


またあの街のどこかの道で、あの少年が、こたえは見つかったか? とでもいうようにわたしを待ち受けているように思えて、どことなくやねせんに近づくのが恐ろしいのもまた真実なのである。


by風花

谷中スケッチブック―心やさしい都市空間 (ちくま文庫)

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