Les portraits officiels des presidents de la France

大統領たちの公式ポートレート


7月14日の革命記念日に、威勢良くブログを再開すると宣言したにもかかわらず、あれから早一月半が過ぎてしまいました。パリにも残暑があり、8月29日には最高気温34℃を記録、ただ、日差しは6月の肌が焦げそうなほどの強烈さを失っています。夜はまだ9時くらいまで明るいですが、確実に夜明けは遅くなり、秋近しという感じです。2日前、夏期講習も修了し、宿題責めの日々から解放されしばしの自由を味わっている昨日今日です。もちろん9月からは新学期が待っています。来週の月曜日には近所の国立大学への編入試験があり、勉強していなくてはまずいのですが、今更数日の努力で奇跡が起こるはずもないので、ブログでも書こうかという次第です。


7月14日、革命記念日に、フランスのエマニュエル・マクロン大統領とアメリカのドナルド・トランプ大統領が、記念式典に揃って出席し、その後エッフェル塔の展望階にある高級レストランでディナーを共にしたことは、こちらの報道でも大きく取り上げられました。そもそも、今回トランプがフランスの革命記念日にやってくることになったのは、マクロンが彼を招待したからですが、フランス人のトランプ嫌いは相当なものですから、何故トランプなどを招待するんだと?! という声も多く聞かれました。土曜深夜のFrance2(国営放送。日本のNHK総合にあたる)のトーク番組では、フランスの高校生が作製した、「トランプが来るぞ〜!」というかけ声と同時に生徒達が一斉に教室から逃げ出すという、トランプをおちょくる動画がいくつもYouTubeにアップされていることが紹介され、スタジオでは、トランプと親密なFN党首「マリーヌ・ル・ペンが来るぞ〜!」という司会者のかけ声で、出演者も観覧の客も一斉に逃げだそうとする、というジョークが演じられました。それほど、トランプはフランス人からは嫌われている、というより評価が低い人物です。


革命記念日当日、仏米大統領が並んで恒例の軍事パレードを観閲している姿を見て、誰もがマクロンの思惑を理解したと思いました。マクロンは、トランプ大統領に対して、フランスの大統領は自分であり、自分の招待に応じて、つまり自分を大統領と認めたからには、マリーヌ・ル・ペンとの親密な関係にしかと楔を打ち込まれたと思え、と警告を発することで、トランプのフランス極右勢力への影響力を遮断する意図を明確に示したわけです。5月の就任以来、早々に内閣改造を強いられるなど苦しい政権運営が続いていたマクロン大統領ですが、まさに最も重要な国家的イベントである革命記念日に、わざわざトランプを招待したうえで、アメリカとは異なるヨーロッパの価値観を体現し、対峙して見せたのは、世界に対し、また国内に対しフランスの独自路線を目に見える形で示した「見せる政治」の晴れ舞台だったのです。トランプ大統領の、アメリカの多様性に真っ向から否定するような不寛容な政治姿勢に対して、同じく民族、宗教、文化の複雑さ、多様さ、テロの恐怖を抱え、困難に直面しつつもル・ペンではなく自分を選んだフランス社会、ヨーロッパの理性と寛容の伝統を学べと言わんばかりの矜持と強烈なメッセージを感じ取りました。トランプ大統領が就任した直後、彼が元は優秀なビジネスマンだったのから案外手堅い政治手腕を発揮するのではと愚かにも淡い期待を抱いた方々には残念ですが、この大胆な駆け引きで、トランプにル・ペンとの縁を切らせ、フランスとの友好な関係を確認させて名を上げたのはマクロン大統領の方であり、ビジネスマンとしてもマクロンのほうが一枚も二枚も上手だろうなということは、すでに明らかと言って良いでしょうね。


と、過去の話はここまでとして、あの革命記念日の晴れ舞台は一時の華やぎであり、メディアに、ブレグジット後のヨーロッパで、(ドイツに比べて相対的に印象が薄くなっていた)フランスを再び大国として復活させられるか、と好意的に書かれていたのもあの頃までだったように記憶しています。目下、マクロン大統領の支持率は低迷を続けています。景気が好転しないことや、増税につながる税制改革など、国民にとっては腰の引ける課題をテーブルに乗せてきたたこと、また当初彼自身が打ち出した「フランスの改革」なるものが進展しないことなどを理由に、彼のへの評価は一段と厳しくなっています。フランス政治の最新情報は専門の研究者に任せることとして、今日は第5共和政の歴代大統領の公式ポートレート写真を比較して、マクロン氏の人物像を観察してみたいと思います。


まず、第5共和政最初の大統領、Charles de Gaule

さすが、第二次世界大戦を勝利に導いた将軍らしく、軍服と勲章姿でエリゼ宮の重厚な書斎を背景に威風堂々としています。が、この威圧感こそが、後に1968年の5月革命を機に彼を辞任に追いやったのかもしれませんね。

次は、Georges Pompidou

あの有名な近代美術館と周辺のショッピングモール、ポンピドゥー・センターは彼の芸術愛好家としての一面を記念して名づけられました。やはり書斎で正装に勲章。

Valéry Giscard d'Estaing

フランス国旗を背景に選んでいるところにオリジナリティがありますね。そして、前2人が古典的にカメラのレンズ、つまりその背後にいる国民ではなく、有らぬ方(天、神、あるいは高き理想?)へ視線を向けているのに対して、ジスカールデスタン氏はカメラのレンズ=国民へ視線を向けています。服装も普通のスーツに変わり、勲章も姿を消しました。

François Mitterrand

大変な読書家で、こよなく本を愛した大統領は再び、エリゼ宮の書斎に戻りました。さらに机に向かって座っているのも彼独特のポージングです。彼以外に座った姿勢で公式ポートレートを撮影した大統領はいません。彼は、フランスで初めての左派社会党出身の大統領でもあります。パリ市内に複数ある国立図書館の中には彼の名前を冠したものもあります。やはり、視線は国民を向いています。さらに、本を開いて手にしているところや表情にも――微笑が浮かんでいます――威厳よりは個性、人間性を表したいという変化が見られます。

Jacques Chirac

この方、エリゼ宮の中から外へ出てしまいました! かなり大胆ですね。日本では親日家として知られてましたね……。でも、米国の対イラク戦争には反対の立場を取り、ド・ゴール大統領以来のフランスの独自性を主張していた事の方が、私には印象に残っています。

Nicolas Sarkozy

彼も、伝統的な背景を選んでいますが、フランス国旗と共に、EUの旗を小道具にしているところが新味です。まさにEU欧州連合)誕生時(2007)の大統領としての意気を感じさせます。彼は、どちらかというとフランス的でないといわれる保守主義者かつ新自由主義者というイメージや、社会の周辺に追いやられてきた黒人やアラブ系の若者の抗議デモに対して「(彼らは)社会のクズ」と発言したりして強権的に対応し、治安維持優先の為にはあらゆる行動も辞さないとった姿勢が印象に残ります。強権的な政治手法にもかかわらず、やはり、微笑を浮かべてこちらを見つめています。

François Hollande

再び社会党出身の大統領。宮殿内ではなく、外での公式写真を選んだ二人目の大統領です。地味な印象ですが、2016年1月のシャルリ・エブド襲撃事件、11月のパリ同時多発テロ事件以降、フランス国内で高まったテロへの恐怖や移民問題への対処に追われて苦労したんだろうなぁ、と想像します。2012年に大統領となった彼は、社会主義者の大統領として、権力の座に自覚なく座ることの恐ろしさを告白し、エリゼ宮に閉じ込められるのを拒否して、庭の奥の木陰でポージングすることでを選んだようです。シラク大統領のポートレートと比べて、よりエリゼ宮殿からの距離を感じさせます。

Emmanuel Macron

いよいよ現職マクロン大統領。この人のコンセプトはまさに型破りと言えるでしょう。まず、重厚な革装の本が並ぶ書斎を離れ、かといって屋外でもなく、執務室を背景に選んでいます。窓が開いていて、外の空間も映り込んでいるので、宮殿内派と屋外派の中間(右派でも左派ない中道の証?)のような印象です。両脇ににはフランス国旗とEU旗、反EUを掲げて彼と大統領選を決選投票まで闘ったマリーヌ・ル・ペン氏との価値観の違いを存分に強調しています。そして、歴代大統領の微笑に比べて彼の笑みがいちばん大きいことは一目でわかりますね。穏やかな微笑というより不敵な笑みにも見えます。39歳という若さ、エリート街道を歩んで、大手投資銀行で2億円以上の年収を得ていた才覚、(女性受けする?)容貌(ちなみに私は、欧米人の顔の美醜の基準が全くわからないので、彼がハンサムなのかどうか判断しかねます。ただ、彼を表紙写真にフィーチャーした女性誌がたくさん有るのも事実)や、24歳年上の妻との情熱的な恋愛ストーリーなど、自分の個性や魅力を熟知し、自己演出に長けた人間の自信に溢れた姿とはこういう感じか、と思わされます。それをむしろ嫌みに感じる人も少なくないと思いますが。

ところで、この公式ポートレートには、実はお手本とされた下敷きがあったのではないかという説があります。Le Mondeや Le Figaroなど主要紙がその類似性を指摘していました。

そう、任期を終えて、トランプに政権を譲ることになったバラク・オバマアメリカ大統領の公式ポートレートとの類似性を見てください。オバマ元大統領の場合は、執務室の執務机の前で、開かれたカーテンと窓から見える外の風景、2つの旗(アメリカ国旗と大統領章)を背にしています。マクロン大統領がこの構図を採用した背景には、彼のオバマ元大統領への敬意が現れているように思えます。マクロン大統領が、オバマ的なる価値観に共感している証であり、つまりはトランプ大統領的なるものへの反感が込めらられていると読み取ることは容易です。マクロン大統領は、トランプが気象変動に関するパリ協定から脱退を表明するや、すぐに公式会見を行い、その最後に英語でこうスピーチしました"We will make our planet grate again"。トランプのあの独占商標的スローガンをもじってダイレクトにトランプを指弾したことは、世界中でニュースになりましたね(その夜エッフェル塔は緑色にライトアップされました。パリ市とアンヌ・イダルゴ、パリ市長の抗議行動です)。最近では、アメリカのヴァージニア州の都市シャーロッツヴィルでの白人至上主義者団体とそれに抗議する人々の衝突について、どっちもどっち的発言をしてますます評価を下げた(白人至上主義者達からは感謝された)トランプ大統領に対して、オバマ元大統領の、「肌の色や育った環境、宗教を理由に他人を差別するように生まれてくる人などいない」というシンプルかつストレートなtweetが過去最高の♡を記録しましたが、黒人移民の女性を抱きしめて感涙させた(もちろんこれだって政治パフォーマンスには違いありませんが、トランプのパフォーマンスがことごとく彼自身に逆効果をもたらしていることと比較した場合、政治的振る舞いとはどうあるべきか熟知しているのはどちらか明らかでしょう)マクロンが親近感を持つとしたら、それはオバマ元大統領だと確信します。Le Mondeによると、マクロン大統領の公式ポートレートは「元閣僚にして、歴代大統領たちの公式ポートレートのアマチュア研究家である人物」の目には、「『マクロンにはアメリカへの憧れのようながあるようだ』」と映るのだそうです。また「確信と挑発、決闘などを連想させ、彼が追い求めてきた西欧の勝者であることを誇るような態度が見てとれる。マクロンはまるで『そう、まさに私の意思はそこにある。(ある意味傲岸、強欲ともいえる)そうした意思を自分の外へ追いやるには、自分の身体を通過させる必要があるんだろうね』と言わんばかりに見える」そうです。奇妙というか皮肉な表現ですが、マクロン大統領は、己の強烈な野心、権力への意志を公式ポートレートという形で表現せずにはいられない質であり、またそれを顕示するには自らの肉体のイコンを以てして行うことが最も効果的であるというイメージ戦略を持っているのでしょう。このなんとも微妙な言いようには、何かマクロンへの皮肉、あるいは批判が込められているようですね。また、英米に対して、大陸ヨーロッパ、あるいはフランスの独自性を主張してきた第五共和政の大統領として、「アメリカに憧れを持っているようだ」とはどういうことなのか? ともいろいろな含意を考えさせられます。


ちなみに、トランプ大統領のオフィシャル写真はこちら。

ホワイトハウス提供のオフィシャルポートレートですが、なんでホワイトハウスはもう少し人相の良いというか、sympa(感じが良い)な写真を選ばなかったんでしょう?


マクロン大統領の公式写真については、さすが西欧美術の中心だけあって、背景から執務机の上のいろいろなオブジェ(アトリビュート?)、例えば左手側の置き時計(時は飛び去る。フランスの立て直しにもはや時間は無いという覚悟? の意味)、積んである2冊の書籍(アンドレ・ジッドの『地の糧』とスタンダールの『赤と黒』だそうです)、右手側の開きかけの本のタイトルとその意味(ド・ゴール将軍による「第二次大戦回想録」とのこと。マクロンは、第5共和政の正嫡であると主張したいのでしょうか。ド・ゴール主義者だと明言しているのでしょうか?)、2台のスマートフォン、そのグラスカバーに影を落とす黄金の雄鶏(誇り高きフランスの象徴)の飾りの付いたインク壺etc......に関してLe Mondeが詳細な解説を載せていたようです。三冊の本が物語るのは、野心、既存の規範に囚われない意思、皮肉、彼個人の来歴と未来を叙事詩に擬えようとする欲望、そして文学への愛を表しているとのこと。そもそも執務室という、まさに大統領が決裁し、文書に署名することで法令や外交方針、条約、軍事行動の命令に実効力を付与する場所を選んでいる時点で、彼は自身こそが国家権力そのものだと示そうとしていることを窺わせます。日本では、アトリビュートという語は主に古典美術におけるキリストや聖人、あるいはギリシャ神話の神々などを象徴する持ち物や付属物を意味する美術史用語ですが、第五共和政は、もともと大統領権限の強さがその特徴とされており、マクロンは、大統領就任直後からジュピター(ギリシャ神話の万能の神ゼウス)ででもあるかのようだと形容(揶揄)されていたので、まぁ、これからは2台のiPhoneも万能神のアトリビュートになるのかもしれませんね。


Le Mondeの記事
http://www.lemonde.fr/politique/article/2017/06/30/un-portrait-officiel-ou-chaque-detail-compte_5153391_823448.html?xtmc=emmanuel_macron_un_portrait_officiel_ou_chaque_detail_compte&xtcr=1

http://www.lemonde.fr/big-browser/article/2017/06/29/le-portrait-officiel-d-emmanuel-macron-donne-en-exclusivite-aux-reseaux-sociaux_5153158_4832693.html?xtmc=emmanuel_macron_un_portrait_officiel_ou_chaque_detail_compte&xtcr=2

撮影風景の動画が面白い。


Le Figaroの記事
http://www.lefigaro.fr/politique/2017/06/29/01002-20170629ARTFIG00201-portrait-officiel-emmanuel-macron-transmet-un-message-d-action.php


HUFFPOST.JPでも似たような記事を見つけました。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/29/macron-official-portrait_n_17339494.html
(過去の大統領が図書室を選んだのに対し、マクロン大統領が「書斎」を選んだというのは、「執務室」の誤訳と思われます。Le Mondeの記事では、撮影場所については、dans son bureauと有ります)


次回は、冒頭で少しだけ触れたFrance2(私のステュディオのTV、ちなみにSONY製で、一定時間視線を向けていないと勝手に電源オフになってくれる優れもので、なぜか、唯一まともに見られるチャンネル)について書こうと思っています。いつになるかわわかりませんが。今後の予定としては、広場とカフェという場所について考える、街の本屋さんと読書の都、ヴァニラ・エア事件についてのフランス人の見方とパリの街角から見えてくるフランスの障がい者福祉政策、フランスに居住する日本人コミュニティ&日仏国際結婚事情、夏期講習で通った名門語学学校の内側と外側、そこで出会った世界各地の友人たちの個性から見えてくるヨーロッパと<辺境>、フランスで東洋人として暮らすこと、フランス人女性は何故かくも我らを魅了するのかッ(笑)?! パリジェンヌの最新モードレポート、 フランス語を学び、フランスを学ばぬの巻、素晴らしきオリエンタリズムテヘランとパリと2人のイラン人女性、南仏の小さな港町でのヴァカンス珍道中記、フランス時間と日本時間、働くフランス人、働かないフランス人、なぜ人が居ないのにあの店は潰れないのか?、日本も見習え!大いなるSoldes、フランスで改めて読む「ヨブ記」、移民とは誰のことか? 美男美女の基準、フランスの階級、各種差別とポリティカル・コレクトネス、などなど(順不同)をテーマにブログ執筆を考えています。何か勘違いされるとお気の毒なのでここに記しておくべきだと考えたので、一応注意喚起しておきます。フランスLOVE♡ 憧れパリライフ♡ フランスの素敵便り♡ パリの街角、大好きなカフェのテラスから♡ パリ! 美味しい! お洒落! 楽しい! 大好き!♡ 等々のコンテンツをご希望の皆様方におかれましては、今後このブログを読むことはお薦めいたしません。



風花

昨日一夜漬けで書いたので、誤字、文脈の乱れ甚だしく、訂正いたしました。

Le 14 Juillet à Paris, France

ご無沙汰しました。
今、風花はフランス、パリに留学中です。
今日は7月14日、そうフランス革命記念日です。

フランスに来て、ちょうど2ヵ月目の今日、改めてブログを再開しようと思います。

書きたいことは山ほどあるのですが、今日はフランス最大の国家的祝祭の日。
フランス万歳! とは声には出しませんが(理由はいろいろあります)、
改めて、私が学ぶことを受け入れてくれた国の国是
「自由、平等、友愛(博愛)」万歳! と叫んで杯を空けたいと思います!
なぜなら、この三つの理念は、私が生まれてからこれまで享受してきた近代的人権理念の源でもあるからです。

フランスで、200年以上前に生まれたこの西欧近代が、今どうなっているのか、ここパリで、
一人の東洋人である風花が少しずつ発見し個人的に思ったことを記録していこうと思います。

今年の革命記念日では、フランス大統領エマニュエル・マクロンと、アメリカ大統領ドナルド・トランプ
並んでシャンゼリゼでの大規模な軍事パレード(Le Grand Défilé de Militaire)を観閲しました。
このあまりに異なる個性・思考の持ち主である二人の大統領が並んだ映像について抱いた印象は後日改めて記すことにします。
また、この荘厳なパレードの意味についても、深く考えさせられたので、それも後日まとめて記したいと思います。

今、エッフェル塔の下では大規模なコンサートが催され、多くのフランス人、外国人達がそれを楽しんでいます。
その後には恒例の花火です。

フランスは6月21日、つまり夏至の日から夏に入りました。まだ外は明るいので花火は11時過ぎから始まります。
風花の住む左岸から右岸の花火がよく見えそうな場所を昼間発見したので、これから見に行きます!

では、みなさま、ご用意は良いですか?
「パリ祭」などという何を祝ってるのか解らない謎の日本語訳は捨てて、
「革命」と「共和国の理念」つまり「自由・平等・友愛(博愛)」、
ひいては西欧近代が生み出し、現代まで多くの人々がその恩恵に浴してきた新しい人間像、人間観、人権という概念、
また、それを支えてきた社会的、政治的システムを
花火と喩えて、その明るさ、あるいは果敢無さ、残像に思いを馳せながら、杯を上げましょう。

VIVA! LIBÉRTÉ, ÉGARTÉ, FRATARINITÉ!!!!!!!!!

*後日、内容体裁その他について編集し直します。本日は、すでに酔っ払っているので、お許しください。写真も追加の予定です。

本日中に追記:今年2017年の革命記念日は複雑なものでもありました。それは1年前、2016年の今日、南仏ニースで革命記念日の花火を見物に来ていた群衆にトラックが突っ込み、80人以上の死者を出すテロ事件が有ったからです。つまり、今年の革命記念日は、昨年のテロ事件犠牲者への追悼の日でもあり、かつ、必然的にテロという課題をいかに克服するのかが問われる日にもなったからです。祝祭の花火の後には闇には闇が残ることを改めて実感します。

如月

如月の二日、朝起きてリビングで目にしたのは、クリスマスに飾った生リースが壁から落下して、床一面に樅などの葉っぱやシナモンや綿などが散乱している光景。いい加減、季節感を大事にしなされ〜という神様の仕業でしょうか。


と、今日も暇ネタ一直線。


私は、昔根津、千駄木、谷中のあたりを散歩するのが好きでしたが、最近になって、かの「おばけ階段」が拡幅工事によって、まったくおばけの「お」さえ出そうにない雰囲気に変わってしまったことを知ったのであった……。あのあたりは、坂好き、階段好きな私には非常に好もしい土地だったのですが……そして、西片等のお屋敷街ね、非常に良い感じのご立派な古色蒼然たるお屋敷などがあったりして、なかなか良い風情で。


それと、たしか爬虫類研究所とかいう怪しげな看板を出した明らかに個人のお宅があったり……弥生あたりっすかね。


弥生美術館もよく行ったなぁ。高畠華宵の美少年画を鑑賞したり。中原淳一の美少女画見たり。


東大の赤煉瓦塀が長く続く裏通り。鴎外、漱石、子規、乱歩の面影。


それから、ペンキの剥がれ可具合が妙に懐かしい青い板壁が目印のこじんまりとしたプロテスタント系の教会もありましたにゃ。


丸いガラスのランプがレトロな喫茶店愛玉子の名店もありましたにゃ。戦前からやっていると聞いたけれど……よく通っていた当時、店主はすでに相当のご高齢だったが、店は続いているのだろうか。


やねせん、と呼ばれて東京下町散歩の定番化しておりますが、また久しぶりに行ってみましょうかね、いや、弥生くらいにでも。そういえば、根岸の羽二重団子ってまだ行ったことないな。食べてみたい。


上野桜木あたりから谷中墓地をゆるゆる下っていくか、バス通りを下ってゆくか……


奇妙な思い出がある。彼氏とふたりでやねせんのどこか、おそらく愛玉子の店の近くだったと思うが、夏の夕暮れ近く、ふと前から歩いてきた男の子が、非常になよやかな華宵ばりの美少年なのであった。彼が、わたしたちふたりとすれ違おうというとき、急に立ち止まって「おねえさんは、ふつうのひとですか?」と聞いてきたのだった。彼は、焦点の合っていないような、それでいて非常に真面目な目で私を見上げており、あげく切羽詰まったように今にも涙ぐみそうなのであった……私は、この問いかけが、非常に重大なものであることを実は瞬間的に察知していたのであったが、彼氏の手前「彼女っぽく」模範的に答えようとすると、冗長な、偽の可愛さや優雅さに彩色された説教臭い長話を述べてしまいそうで、口を開くのを一瞬ためらってしまった。彼の顔に失望の色が浮かびゆくのを見ながら、とっさに「みんな普通じゃないんじゃない?」と答えていた……すると、少年は小さくうなずき、そしてうつむき加減に私たちとすれ違い、歩み去って行った。彼氏に私のこたえが聞こえたか、そもそも、少年が私に何を問いかけたのか、もしかしたら、なにも聞こえていなかったのかもしれない。


あれは、どこかから遣わされてきた人外の美少年だったのだろうか。謎の邂逅は、以後、繰り返し夢や覚醒の中で、私に問い続けるのだった。ふつうのひとってなんだろう? たぶん、ふつうの人なんていない、とあのとき瞬間的に、私は確信していたのだが――ふつう、という正体不明の息苦しさに覆われる、浸食されながら生きることの恐怖を彼の目がわたしの中に目ざめさせたとしたら一瞬だとしても暗闇からの問いかけが届けられたとしたのなら、そしてその使者がわたしを選んだとしたなら、やねせんの魔に魅入られたことを感謝しつつ、わたしは今も自分があの夏の夕まぐれに答えたとおり、ふつうならず生きているか、また他者がふつうならず生きるのをそのままに受け入れているのか、問われ続けられている気がする。


またあの街のどこかの道で、あの少年が、こたえは見つかったか? とでもいうようにわたしを待ち受けているように思えて、どことなくやねせんに近づくのが恐ろしいのもまた真実なのである。


by風花

谷中スケッチブック―心やさしい都市空間 (ちくま文庫)

谷中スケッチブック―心やさしい都市空間 (ちくま文庫)

オスカル警部補とアンドレ巡査部長


今年はブログの更新をまめにしようと誓ったのに、怠惰に過ごした結果、1月も下旬ではないですか! いかん、いかん。


しかし、ネタがない。どうしましょう。


最近は、何のドラマを見るかで曜日を把握している感じです。NHKの「カー寝ション」はとりあえず欠かさず見ています。尾野真千子、良い女優ですね。ファニーフェイス(ぶっちゃけ不細工)というのでもなく、かといっていかにもな美貌でもない、つまり、外観の形容ではことたりない、あの表現しがたい「魅力」というもののの持ち主ではないかと思います。普通の綺麗な女優さんだったら、あのサザエさんパーマとか、絶対やらんでしょう、しかし、あえてやってのけて、さすがにサザエさんそのものなのだが、ちょっとコケットであることは失われていない。なにか、久しぶりに女優魂という言葉が浮かぶ女優さんだ。「火の魚」のときには普通に美人女優と見たけれど、経歴を調べると一筋縄ではいかない人のようだ。TSUTAYAで「真幸きくあらば」を探したが、全部貸し出し中になっていたところをみるに、やはり赤丸急上昇中な女優さんなのね、きっと。


ストロベリーナイト」の日が火曜日。姫川怜子ってどんだけステロタイプなってか、パロディもどきの名前を持つ女デカ、意外に竹内結子が頑張っている。男だけの、秩序第一の「組織」で指揮官にまで成り上がった女といえば、私にとってはオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェなのであるが、ま、現代のことゆえ男装の必然性がないので、姫川主任は普通にパンツスーツで、ヒール靴、でもエルメス? ぽく見える赤い鞄が高貴だわ〜、ま、エルメスじゃないと思うが。で、このドラマは、刑事たちのキャラクターの多彩さと深みが見所なのだが、ま、武田鉄矢とか、わかりやすいヒールとか諸々取りそろえられており豪華です。しかし、私がいちばん気になるのは、オスカルに仕えたアンドレならぬ、菊田の主任愛の行方なのだった。


オスカルを女として愛すことと、上司として愛すことと、けっこうアンドレ菊田くん、たいへんなんじゃないすか、今は良いとして。オスカルがアンドレの愛に気づいて両思いになったとしても、菊田に「あんた、私のこと好きなんでしょ」とか確認するわけにもいかず、あるいは「今宵私の寝所へ」とか命じられれば良いですよ、でも、さすがに現代ではそれはパワハラもしくはセクハラにあたるので、主任から言うことはないでしょう。となると、アンドレは、いつオスカル主任と性愛関係に至れるのか……非常に無駄な長い時間が流れそうで心配です(余計なお世話ですね)。あまりに長い時間が経過した後、ふと、自分の愛が、もはや男女の愛を超えた、一種の上司部下の有意義な共依存になってしまっていた、なんてこともあるのではないかと。主任の仕事上の苦悩に伴走し続け、その苦悩を共有しつづけてしまったせいで、主任に対し欲望できなくなってしまったが、セラピーは続けられる、そんなふたりになってしまいそうで、個人的には心配です。


アンドレ菊田の側では、自分の欲望と闘いつつも、恋人ではなくセラピストで満足しようと努め、そこに安住するだけで幸福だという充足感に慣れてしまったやさき、あるときオスカル主任のほうが、突如、愛に目覚めたら……そのとき、すでにセラピストとしてのアイデンティティとアティテュードしか機動しないアンドレ菊田は、女とした愛されたいオスカル主任を前に、デキナイという、悲劇というか喜劇というか、そんなことになっちゃうことがあると、思うのよね。


「ベルばら」で、2人が一線を越えられたのは、やはり、身分違いの恋=憧憬の力、故に起こる越境というか避けがたい主従関係の侵犯と、革命が間近に迫っている時間的拘束、そいういうもろもろの好条件があったからだと思うのだよ。今、等しくシトワイヤン(シトワイエンヌか)とシトワイヤンとなった姫川と菊田の場合、欲望をいつ発動し、いつそれに流されるのを可とするか、全部自分で決めなきゃいけなくて、かつ男女としては自由で平等な立場だから無理にでも今ある関係性を侵犯するのはお行儀悪いし、法と秩序と、あるいは良心とか他者(とまで言うのはドライすぎますが)の尊重に堅いふたりの場合、どちらも自分の欲望に正直になることを、相手に対して自制する可能性高いじゃん。


でも、続く過酷な仕事の中で共に行動する指揮官と部下、それが、いつしか傷つき悩む女と癒す男、患者とセラピスト(カウンセラー、精神科医)になってしまったとき、性愛はもう不可能なんじゃない? だって、セラピストはクライアントとできちゃいけないんだもん、でないと的確なセラピーができないから。


そうやって、定年まで結ばれないふたり、定年後も、老いた眉間に皺寄せて義憤を語り、無理な行動に走るオスカルと、それを宥め助けるアンドレの、麗しいのか麗しくないのか……どちらかというと喜劇的な場面を思い浮かべてしまう。


現実のドラマとは関係なく、そういう妄想のほうで楽しんでるのが「ストロベリーナイト」かなぁ。


by風花

真幸くあらば [DVD]

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ストロベリーナイト (光文社文庫)

ストロベリーナイト (光文社文庫)

つーかさ、なんで、勝手に借金の過払い取り戻しますとかの広告が出てんのよ! 私は、人助けのために弁護士探しただけだっつーのに、迷惑なんですけど!!! だからグーグルってむかつくんだよ。検索内容はプライバシーだっつーの! しばらく前は、ソーテルヌワインばかり検索してたのに、何日間か他人のために法律事務所検索したら、こうですから。腹立たしいにも程がある。

まぁね、わかってるんだけどねぇ……


「ドS」も「俺様」も「ドM」も、所詮は萌えのためのキャラの類型のひとつだとは。


とりあえず、「ドS」な人を快適な部屋に監禁してサドの著作の朗読を24時間聞かせたい。サド様はエグいことはエグいが、あるところで退屈してくるからなぁ……退屈すんじゃねーぞ。


「ドM」もね、所詮ね、『毛皮を着たヴィーナス』の朗読を聞かせ続けても退屈するんだろうけど。


こういう切なさってなに? 一種の教養主義もどきみたいなもの? なんか我ながら寂しくなってきた……


個人的に、特に男女間で、「ドM」より「ドS」と名乗るほうがうざいのは、何の根拠もなく、というか唯一萌える/萌えられたいという生理に根ざした欲望から相手の上位に立とうとする(幻想も含め)のが、やはりこちらとて生理的に気持ち悪いので嫌いなだけです。むしろ、生理の部分をいきなり露わにするって、格好悪くて恥ずかしすぎて見てられないです。でも、こういう、自意識のゆるいタイプの人って、人の上位に立つどころか、実は簡単に従属させらちゃうと思うのよね。ま、人は良いのかもね、ほんとうのサディストに比べれば。

by風花

毛皮を着たヴィーナス (河出文庫)

毛皮を着たヴィーナス (河出文庫)



追記 20120115

今日の夕方、J-WAVEロバート・ハリスのやってる番組を聞いていたら、おかしな話をしていて驚愕した。ゲストと一緒にドライブしながらトークするという趣向で、ゲストは作家の村山由佳だったんだけど、一人の人間の中に共存する男性性・女性性の話を、たとえでSとMに見立ててなんの疑問も感じていないふたり。もちろんS=男性性、M=女性性。しかし、Mの源はマゾッホ♂なんだったてば。マゾッホが♂じゃなければ、マゾヒズムは生まれていないはずで(なぜならすでに女性原理として自明ならば、わざわざマゾヒズムとして再定義する必要がないからだ)、むしろどちらも源から言えば、男性原理なんじゃないの? と素朴に考えればいぶかしんでもおかしくはないくらいの話。正しくはSもMも、あくまで性別に関係なく個人の嗜好であって、男はS、女はMというのは勝手な誤解なわけです。にもかかわらず、村山由佳いわく、女性は身体の構造からしてMにできている、と。馬鹿かおまえは。頭悪そうな作家だとは思っていたけど。


と、ことほどさように、SもMもその源流を忘れられている、ラジオで素朴に男性原理、女性原理として(しかも作家によって)語られてしまう。のはおかしいんじゃないの。ということに誰も違和感を抱かないのが個人的には謎すぎる。こうして、自らの男らしさを誇示したい人が「俺はドS」とか、女性らしさを強調したい人が「私はドM」とか臆面もなく自己紹介する場面が出現するに至るのであるなぁ。

by友だちに「SM倶楽部で女王様でもやれば」と言われたことのある風花

「ドS〜」バブル。について

澁澤龍彦がサドを邦訳してから50年、この極東の神なき国は今も長閑です。所詮神なき国に悪徳も異端も生まれはしない……その長閑な極東の島国の巷に近頃溢れかえっている「ドS〜」っていう単語、フレーズのバブルは何なんだろう。


昨日から向井理主演のドラマが始まったがその内容紹介が「ドSシェフ誕生!」……街で物色した好みの人間をガレージ風調理場でさんざん嬲り殺してからその肉で最高に美味い料理を出すシェフ、とちょっと古風なサイコホラー風物語でも無理に考えてみたのだが、やはり、思ったとおり、向井演じる極めて単純な人間のどこがどうドSなのかまったくわからない。


ドSのSは、shyのS? sillyのS? simpleのS? とにかく「ドS」という形容詞のつくキャラクターに共通してるのは、コミュニケーション能力が低く、ボキャ貧で、思考回路が単純で、態度ががさつ、うるさい(声がでかい)、でも実は良い人。とくに、実は良い人、がポイントです。みたいな……どこがどうサディズムと関係あるのかまったくわからない。


草食系に対しての肉食系のことか? とも思うが、肉食系の中でもことさらにナイーブ(もちろんネガティブな意味で)なタイプほど「ドS」と形容されているきらいがある。しかし、向井をはじめ、自らポジティブな意味で「自分はドSです」とかいう男もいるらしい。高偏差値タレントと目されている向井が普通に口にしているからには、世の中ではやはり、草食系と認定されることを避けるために自称ドSと名乗ることは普通になっているのか。


まとめてみると、私の感覚では、上記キャラクターの特徴から、いわゆるDQNな男の再評価と、反草食系であることの強調ための言葉として「ドS」が共有されている……う〜ん。そんなことくだらんことに援用されるサド様の憤慨ぶりが見えるようだ。


「私の彼氏って超ドSなの〜」とか「俺ってドSだから」いう友人が居たら、嫌がらせにその場で携帯を取り出して警察に電話して「知人がDVのせいで頭がおかしくなってます」と通報するので、私の前で恋人および自分が「ドS」と口にする際はご注意ください。


by風花

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

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悪徳の栄え〈下〉 (河出文庫)

悪徳の栄え〈下〉 (河出文庫)

サド侯爵の生涯 (中公文庫)

サド侯爵の生涯 (中公文庫)

冬こそ花


K駅にAOYAMA FLOWER MARKETができて、花を買う機会が増えました。冬こそ切り花を楽しむのに良い季節ではないかと。夏場はあっという間に水が悪くなって花もすぐに咲ききってしまう。でも、冬は、室温をものすごく上げないかぎりは、水も悪くなりにくいし、花の開き方もゆっくりで長く楽しめる。でも、乾燥には要注意。花開く前に乾いて萎んじゃったりすることもある。


昨日は、アネモネの花束を買いました。アネモネ、春到来を感じさせる花。花言葉は「はかない恋」「はかない夢」だそうです。もしかして、咲いてからあっという間に散ってしまうのかしらん。でも、今はまだ、赤、白、紫、大輪で華やか。もうひとつ紫のスイートピーラナンキュラストルコギキョウ、黄色の薔薇とオレンジのカーネーションのアソートは玄関に。おまけで、黄色のラナンキュラスとミント、名前のわからない白い葱科っぽい花の小さなブーケは寝室に。


けっこうポイントもたまってきた。


一度花のある生活を体験すると、花がないのがすごく寂しい。お金がないときはもちろん買えないけど、小さくてもいいから生の花があると部屋がぐっと明るくなる感じがします。


生け花のほかにに、盆栽も育ててます。今は枯れてるけど、こちらも毎日ベランダで日に当てて水やりも欠かさない。枯れ葉が全部落ちて、苔も少し乾いて、1月、2月は葉物はいちばん寒々しい感じです。でもきっと、3月くらいには新芽の予感みたいなのも出てくるんじゃないかな。冬場にはきちんと寒さに当てるのが植物の生長サイクルには重要らしいので、枯れていても、苔が白っぽくなっても、がまん、がまん、我が子の成長はじっくり見守るべし。でも、常緑のフイリシンパクだけは相変わらず元気です。


by風化