社内貴族に捧ぐ奴隷哀歌

今年、俺の夏休みは完全に消えた。麻生がいつまでもずるずる解散しないせいで……ったく。

たぶんこの三連休が唯一の夏休み。


ところで、俺がこんなに忙しいのは麻生のせいだけでなく、会社に使えるヤツが想像以上に少ないという理由にもよるんだよ。正直、これほどまでに人材がいないって驚愕だよ。おかげで俺のように雑務処理能力の高い人間のところに仕事が降って来て逃げられない。もう、疲れた。編集ってさ、なんかクリエイティブな仕事? とか勘違いしてる人とかなにげに多いんだけど、実際のところ際限のない雑用なんだよ。特別な能力なんていらないし。しかし、雑務処理ができない人というのが意外に多いのだ。


どこの会社もそうなのかもしれないけど、うちんとこはほんと貴族階級と平民と奴隷にきれいに分かれてるよ。もちろんほとんどの人が平民として可もなく不可もなく働いてるんだけど、俺は不幸にも奴隷なんだよ……仕事もしないで文化的活動に励んでいる貴族階級のまさにその文化活動を支えるために、俺は奴隷としてこき使われてる。文化活動してる人多いよ。社内政治批評とか。他人の仕事批評とか。創作とか、サロンで社交とか……。どう見ても仕事に向いていない人というのは、確実に居て、仕事されるとまわりの人間にとってかえって面倒が増えるだけだから、そういう人びとには遊んでいてもらうほうがいいというのも事実。


俺の個人的な恨み節はさておき、やはり文化は階級社会に支えられてるように思える。俺は最近、自由も平等も民主主義も信じられない。むしろ階級社会、身分制社会の安定性をますます信じるね。もちろん貴族や上層階級が過度に抑圧的だと、下々の不満が溜まって爆発するから絶対に安定的だとは言えないけど、貴族と上層階級の権力を上手に奪っておけば世の中意外に安泰なのではないかと思う。貴族や上流の方々にはひたすら(不毛な)文化活動に励んでいただいて、実権は平民と奴隷の話し合いで回してゆくという……身も蓋もなくいえば、そういうシステムのほうが上手く行くし、稀に後世に残る文化も生まれるんじゃないの。


個人がみんなしてより効率的になり、より生産的になって何が楽しいんだろう。幸せの総量が増えるとでもいうのか。確信を持って言うけど、幸せの総量は増えません。競争が激化して疲弊する人間が増えるだけだ。だからこそ代償のようにみんな自己実現とか言い出す。人材のダイバーシティだと? いや、すでにとてつもないというかとんでもない人びとは大勢居て、彼らをどう処遇するかが難題になっているのだ。彼ら全員がやる気出してみろ。とんでもないことになるぞ。やる気を引き出すんじゃなくて、やる気の管理が最重要課題なんです。みんながみんなてんでに自己実現を求めてたいへんなことになってるのが現場なんです。俺は仕事に自己実現なんか求めるのは無意味だし、危険だとも思ってるので、その人でなければできない仕事とか、個性的な仕事とか、ユニークな仕事とかあり得ないと思ってる。仕事の結果が個人の評価そのものだと考えるのは間違ってる。仕事に自己実現なんか求めるから自己のすべてを仕事に投入して長時間残業して、バリバリ働いてる自分に酔ったりする。かといって昔みたいに賃金や処遇で目に見えて評価される機会は少なくなってるし、ほんと自己満足しか救いがない。自己実現は文化の領域でやれ。文化の創造と文化の商品化は違うからね。文化創造のレベルではたしかにいろんな発想や個性が必要だけど、商品化にはむしろ無用。ひとりひとりがひとつひとつ違う商品を作って売るなんて、それは産業じゃなくて芸術でしょ。文化芸術と、その商品化の過程であるところの産業は断絶している。はっきりいって、産業としての出版はもう終わってるよ。あとは、文化芸術として産業とは別の方法で生き延びるしかないだろうね。そして、俺はあくまで労働者(それも奴隷)なので産業においては有能だけど、文化ではなぁ……まぁそのときはそのとき。


編集者やってて、文化活動してるって思ってる人って、俺は信じられない。まぁ、世の中には「カリスマ編集者」とかいるのかもしれないけど、彼らが実質的に文化を作り出してるとは思えないね。やっぱり書き手と編集者は身分が違う。編集者はあくまで産業従事者という意味で下層だよ。下層のくせに変なエリート意識持ってる人が多すぎるのが問題。自意識過剰な人が異常に多い業界なんだよななぁ……もちろん書き手がみんな優れてるわけじゃない。というかほとんどの書き手がダメダメだけど。まぁ、それはそれとして。ダメなものが売れないのは書いてる人がダメだから。売れたとしたら、書いた人に才能があったということ。編集者の目利きとか手腕では間違ってもない。編集者にとって、出版活動はほとんど博打です。いい札がめぐってくるかどうかは実力じゃなく、運と確率の問題。勝負しつづけることが勝つための唯一の方法。もちろん誠実さを大前提にしてだけどね。


雑務処理能力が無くて、エリートという自意識が過剰な人には、社内貴族になっていただいたほうが絶対にいい。下手に産業に従事されると、現場が混乱したり商品が劣化するから。出版にかぎらず、あらゆる産業で社内貴族という生き方はあったはずなんだよね。かつては。社内権力は剥奪されてるけど優雅なご身分というのが。俺は、そういう全体の効率化ための余剰な存在に意義を認めるし、敬意を払うよ。


たぶん、近代っていうのは、平民と奴隷による実質的なエリート主義が、貴族を名誉エリートとして権力構造の外へ排除してゆくことで成立したんじゃいのかね。名誉エリートの非生産的文化への憧れと反発が近代を駆動したと思うんだけど。


企業内の身分制の話と、もっと広い意味での階級社会の話がごっちゃになってしまった。


ただでさえ産業は技術革新のおかげでどんどん労働力を必要としなくなっている。みんな自分のレーゾンデートルを自分で見つけなくちゃいけない厳しい世の中。だからこそ文化に行けよ。カツマー本なんか読んで真面目に効率アップとか年収アップとか考えてちゃダメダメ。報われないシステムの中で自分を評価しようとするのは無駄なオブセッション。自分で別のシステムを見つけろ。そして、別のシステム、文脈で生きる人を、必然的な余剰として包摂し敬意を払う。価値観、システム、文脈の複線化を指してダイバーシティっていうなら理解する。同じシステムに違う方法で役立つ人を多数取り揃えておきましょうというのには乗れない。人間、役に立つのは瞬間にしかすぎない。ある瞬間に評価されても次の瞬間に否定されるなら、そんなシステムに忠誠を誓っても意味は無い。それがわかって貴族化してる人は大物だ。わかってない貴族もたくさんいるけど。


それにしても、カツマーって、あれ新手の共産主義? って思うのは俺だけ? 仕事に自己実現を求めるって、疎外論の裏返しだろ。革命近いの? みんながカツマー本ばかり読んで、文化創造に勤しむ貴族が居なくなっちゃたら俺の商売あがったりだよ。


ああ、夏休みが終わる。虚しくって主語が俺になっちゃったよ……



byおじこ