無縁死しそうな私です


日経ビジネスオンラインの記事が話題を呼んでいるみたいです。私も会社でメルマガ読みました。

孤独死はそんなに大きな問題か「いのちを守りたい」連発への違和感、偽善に惑わされまい



赤木智弘もブログ書いてます。



私も基本的には、無縁死をことさら例外、例外であるべきだとする関心の持ち方には警戒感を抱きます。福祉制度の不備の話を「家族へ帰れ」で補おうとするのは、NHKの番組制作者の意図とはたぶん真逆に、自己責任論へ回収されてしまうからです。家族をつくるか、つくらないか、その自己決定によって老後が幸せなものになるか、残酷なものになるか決まるというのはおかしいでしょう。自己決定の尊重=自己責任って、いちばん嫌みだ。最初から選択の結果にペナルティをつけておいて、さぁ自己決定をどうぞ。というのは自己決定どころか、ほとんど強制か脅迫です。



「家族へ帰れ」を否定する日経ビジネスオンラインの吉田氏と赤木氏の無縁死への視線で、違うところは、吉田氏が、財政再建のためにも福祉制度のこれ以上の充実は無理で、ゆえに無縁死が生じてしまうのもやむなし、としているのに対し、赤木氏は無縁な人でも安らかな最期を迎えられるように福祉制度を充実させろと主張しているところかな。



私は、吉田氏が無縁死を差別的目線で見るのはやめようと言いつつ、見捨てることの免罪符にしようとしている点は気に入らない。



そもそも、家族に看取られる必要ってあるの? 家族が看取らなきゃだめなの? 家族じゃなくても、必要なケアをしてくれる社会のシステムが整備されてれば良いという話でしょ。縁の有る無しにかかわらず、ケアが受けられるシステム構築をこそ目指すべきなのに、政策の失敗を認めるのではなく、絆とかいのちとかきれいごとの言葉の復古に逃げるのは保守反動そのものだが、システムの不備で生じる犠牲に鈍感になることも違う。吉田氏の記事のダメさはそこ。



ところで、無縁死問題って、とくに独身女性は、私に対する嫌みですか? と思います、まじで。親を介護することを怠っている(ときに夫の親の介護も含まれる)、夫の介護を怠っている、自分を介護する子どもを再生産することを怠っている、と責められている気がするのは私だけ? 家族をつくれ、さもないと……という強制と脅迫は、何度もいうけどやめてください。家族自体が傷である、とは桜庭一樹的主題だけど、家族愛の美名にどれほどたくさん残酷が隠されていたことか。



それに、吉田氏も素朴な疑問としていたけど、懐かしい有縁社会って、近代が抱いた幻想じゃないのかなぁ。身分差別の厳しかった前近代には、その身分の中ではセーフティネットも固かったというのはあるでしょう。でも、自分の身分から逸脱したら徹底的に爪弾きにされたと思うよ。孤独に死んでも自業自得、とか平気で言われちゃったんじゃいでしょうか。無縁仏という言葉は昔からあったわけで。



現代が身分制社会になりつつある、ということなら、身分制そのものを問うべきなのであって、「家族へ戻れ」じゃないはずです。



私とおじこは、老後一緒に暮らそうねって言ってはいるけど、性的関係はないので子ども作る気ないし、養子もらう気もないし、どっちかが先に死んだら無縁死、孤独死です。友だち同士が一緒に生きるだけじゃダメなんだ、家族として。恋愛やら、見合い、もとい婚活やらして結婚して、夫と妻とこどもとその他親族っていう形にはまらなきゃ。でも、円満家族をつくっても、子どもが先に死んじゃったり、親戚が先に死んじゃったりってこともないとはいえないはずなんだけど……で、一人になって施設に入って暮らす人が哀れで惨めだとすると、こどものいない夫婦は同時に死ねるように特殊な工夫をせにゃいけないのかね。 普通それを心中といいますが、無縁死と心中とどちらがいいかといわれても。



ところで、あるところで同じような意見を日記に書いたら、「『子どもを産まない!』と宣言するような人は、最期のときまで自分の面倒を見られるように資産形成に励み、働くべし」という意見が寄せられた……老後の備え・投資として子どもを持つというのは、政府と国民の合意のうえで運営される福祉制度の無い世界ではもっとも有効でしょう。そういう社会では、女性が「私は子どもなんて産まない!」と宣言するのは非常識甚だしいと見なされるし、また事実上不可能です。おじこの知り合いで、アジアやアフリカに長く滞在してい人が、麻生太郎が以前「経済的余裕ができるまでは結婚するべきではない」的発言をしたときに、「ちがう、貧乏だからこそ早く結婚しなきゃいけないのだ。一人じゃ生きていけなくても家族になって子どもが生まれれば生活はできる」と力説しておじこの目から鱗を落としたらしいが、もちろん日本の福祉国家としてのダメさぶりへの皮肉と受け取るべきでしょう。「子ども産まないなら死ぬまで働け」発言も同様の皮肉と受け取ることにいたします。



それにしても、子どもを産む/産まないという決定は女性しかできないわけですが、男性が老後のために子どもがほしいときはどうするんでしょうか? 実際に無縁死で多いのは男性のように思います。男性の場合無縁死は「かわいそう」なのかもしれませんが、女性の場合、「結婚せず子どもを産まなかったおまえのせい」という文脈が潜んでいそうな気がするのは私だけでしょうね。「産む」という言葉にこだわるのは、女性の自己決定への制約・監視の姿勢ではと疑われます。せめて、「『子どもを持たない!』と宣言する人は……」と言うべきでしょう。ちなみにこの発言者が女性だったのが怖いです。



また、その論法をひっくり返せば、ブランジェリーナ夫妻のように、老後の不安とは無縁の億万長者は子どもなど必要としないはずなのだが、そうでもないでしょうが。



条件(思想・信条・家族形態・生活レベルなど)によっては、尊厳を奪われる残酷を放置してもOKとするのは福祉国家ではないと思いますが、どうなんでしょうね。



そういえば、先日の「アジアの結婚」について考える特集を掲載していた朝日新聞のGLOBE(すみません、発行日を忘れました)も興味深かったです。親と子の、ある意味絆が強すぎると、親の体面・介護の責任の重さに尻込みして子どもが晩婚化するという現象。有縁社会の規範が、子どもの世代で無縁化を助長しているケースもあるんじゃないですかね。


by風花