あのひととホールデン・コールフィールドを対談させたいと思った午後


ホールデン・コールフィールド勝間和代と対談させるという脳内企画を思いついた。


結局、香山リカとか、大人な人じゃダメなんじゃないだろうか。教養と礼節のある大人は、まじめに勝間和代とコミュニケートする気はおきないだろう、たぶん。ふたりとも与太話の才能なさそうだし。もしかすると、香山リカにはあるのかもしれないが、勝間和代に与太の才能がおそろしいほどまったくないので、ま、仕方なくというか情けで勝間の土俵に上がってあげているというか。与太話の好きなまっとうな知識人は、あまり勝間和代とはしゃべりたくないだろうなぁ、という気がする。勝間が、ボタンを押すだけでおいしいコーヒーやお茶が出てくるマシンを幸せの代名詞として、それを買える経済力を身につけることの重要性について語ってる文章を読んで寒気がした。カフェ的な(あるいは茶道でもティーパーティーでも、単に「おままごと」でもいいけど)文化、つまり与太話を含む対話的な文化っていうのが勝間には理解できないんだろう。ある意味、蟻−−目的がはっきりしていて、システマティックで、効率的で、ピューリタン的で、みんな遺伝子が同じで、議論したりけんかし合ったりする必要なんてまるでない−−に似てる気がしてくるんだな、彼女のこと見てると。


その点、無教養かつ無礼な若者ホールデン・コールフィールドは遠慮会釈なさそうで期待できる。勝間が、ホールデンをどう自助努力・自己研鑽に向かわせようと説得を試みるのか、ちょっと見てみたいよね。少なくともホールデンは、ボーディング・スクールで勉強するくらいブルジョアなので、勝間も端から見捨てたりはしないんじゃないかな。いきなり対談ののっけから「私、中学からずっと慶応なんですよね。だから貧困ていわれても正直まったくわからないんですよね」とかって労働者階級の雨宮処凜にかますのを見て、勝間って、ビジネスの文脈に限定しても「傾聴」のけの字も持ってないなだな、と実感したけど(会計やコンサルティングの仕事のクライアントに対しては傾聴してるのかもしれんが。でも、雨宮処凜は対談のゲストであり、ビジネスの相手だと思うんだがなぁ)、こういう場合でもホールデンならとんでもない切れ味で切り返してくれそうだ。勝間って同じ階級の人には優しそうだから、いきなり無礼ことは言わないか。でも、目をきらきらさせて「お父様弁護士なんですってね」とかいってホールデンをマジギレさせそう。


考えてみれば、勝間って、プレップ・スクール的なものを凝縮したキャラだよね。サーマー校長とか、ストラドレイターとか、スペンサー先生とか。すぐ「グッド・ラック」って言いそうなさ。そのくせ最近はホールデン・コールフィールド並みに世界の矛盾やら痛みやら悲惨やらを一身に引き受けようというようなふりをして、政治とかに口挟もうとしたりしてるけど、あれどうなのかね。結局彼女の著書の売り上げ伸ばすためにを政治家まで引っ張り出してきたってだけのことじゃない? 


ボタンを押すと世界各地の美味しいコーヒーやお茶(フェアトレード商品。ここ大事らしい)を出してくれるマシンのある生活を維持するということと、ある局面で正しい論理が別の局面ではまったく役にたたないという世界の本質的かなしみに気づくということは、だいいたいにおいて交錯しない。交錯しないがゆえに、世は平和のかもしれないけど。勝間に限らず、「ロジカルシンキング」の好きな人には、そういう鈍重さがつきまとう気がするのはなぜなんだろう。


果たして、ブルジョア的生活の絶望的な素敵さのなかで、非力をかえりみず無謀にも「非論理的に存在する世界」と対峙しようとするホールデン・コールフィールドの、ほとんど嫌らしいまでに特権的な繊細さ、高貴な狂気への指向を、勝間はどう救うんだろう。ちょっと興味あるよね。


誰か文才のある人は、絶対勝間対コールフィールド本を書くべきだよ。
文才がもったいない? ごもっとも。




by風花

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)